CULTURAL PROPERTY

銅造如来坐像

神仏習合の名残、松見の地に坐す如来。

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OVERVIEW

像高十五糎、
静かな坐像。

当社にゆかりの深い銅造如来坐像(どうぞうにょらいざぞう)は、高さ約十五糎の小像ながら、神仏習合の時代の名残を今に伝える貴重な遺物です。平成二十八年(二〇一六)十月、横浜市より地域文化財として登録され、松見の地の文化史を象徴する一躯として、広く知られるところとなりました。

制作時期は飛鳥時代と推定され、様式からは古様が窺われます。台座の上に結跏趺坐し、両手は禅定印(定印)を結び、静かな瞑想の姿を留めています。額には白毫、頭上には螺髪を備え、衣文の流れは柔らかく、鋳造の技巧の高さを示しています。

名称
銅造如来坐像
員数
一躯
像高
約十五糎
材質
銅造・鍍金の痕跡あり
制作時期
飛鳥時代 推定
指定区分
横浜市地域文化財(平成二十八年十月登録)
所蔵
国立博物館
HISTORY

神社に坐す仏、
その理由。

そもそもなぜ、神社に仏像が伝わるのか——。これは日本独特の信仰形態である神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残に他なりません。古来、我が国の神祇信仰と仏教は互いに影響を与え合い、中世から近世に至るまで、寺と社が一体となった宮寺(みやでら)・別当寺の形式が各地で営まれていました。

当社もまた、松見の地の氏神として、近隣の寺院と共に地域の信仰を支えており、仏像を本地仏(ほんじぶつ)として奉安する習わしがありました。八幡大神の本地仏は通常阿弥陀如来とされ、当像もこの系譜に属すると考えられています。

しかしながら、明治元年(一八六八)の神仏分離令により、神社に奉安されていた仏像仏具の多くは撤去・移動を余儀なくされました。当社におきましても、本地仏の多くは近隣の寺院に遷され、あるいは散逸したと伝えられています。本像は奇しくも社務所の厨子内に密かに留め置かれ、明治・大正・昭和の三代を経て、長く護り伝えられてまいりました。

平成二十八年の文化財登録を機に、ようやくその歴史的価値が広く認められるに至りました。現在は国立博物館に収蔵され、神社と仏教が共に歩んだ時代の貴重な証として、その姿を今に伝えています。

FORM

像の細部

印相(いんそう)

両手は腹前で定印(じょういん)を結んでいます。左手を下に右手を上に重ね、両親指の先を軽く合わせる姿は、禅定三昧の様子を示し、阿弥陀如来の上品上生(じょうぼんじょうしょう)印とも解されます。

相好(そうごう)

面貌はやや丸みを帯び、伏し目がちの温和な表情を湛えています。耳朶は長く垂れ、頸部には三道を刻み、額中央には白毫(びゃくごう)の水晶嵌入の痕跡が認められます。

衣文(えもん)

通肩(つうけん)の袈裟を纏い、裳裾は台座前面に垂れる裳懸座(もかけざ)の形式を示しています。衣文の彫りは流麗で深くはなく、飛鳥期の古様と合致します。

台座・光背

現存するのは像本体のみで、光背・蓮華座は失われています。像底には僅かな鋳造時の湯口痕が残り、鋳造後の入念な仕上げが窺われます。